民宿みさき(熊野)

2016年8月6日、中日新聞

脱サラ

海水浴客でにぎわう三重県熊野市新鹿町の「民宿みさき」で、色白の中年男性二人が忙しく立ち働いている。兵庫県尼崎市出身の田渕忠男さん(47)と神戸市出身の加林良一さん(41)。ともに脱サラして5月から民宿経営に携わる。いずれも家族の理解は得られず単身で乗り込んだが「宿をお客さんでいっぱいにしたい」とやる気満々だ。

自然豊かな環境

二人はもともと尼崎市に本社のある建設関連会社の営業課に勤務し、田渕さんが課長、加林さんは部下という立場。太陽光発電事業を副業にと準備していた加林さんが各所の不動産を探す中、2016年1月、ある業者が手にしていた民宿のチラシを目にして「住んでみたい」。自然豊かな環境を一目で気に入った。

新鹿湾の白浜

民宿は1969年創業、オーナーが高齢で土地建物は売り出し中。宿の前に広がる新鹿湾の白浜と青空を見た加林さんは「会社を辞めよう」と決断し、2月に会社に辞表を提出。銀行から借金をして購入した。事後報告したところ妻は「やれば。私は行かないけど」。

当然ながら一人で切り盛りするのは難しい。職場で一番仕事のできる田渕さんの顔が浮かんだ。熊野の写真を見せて頼みこんだところ田渕さんの心も動き、4月に退職。部長昇進の話もあったが「後先のこととか何も考えず決めた。妻はあきれてます」と笑う。

三階建て、客室は11

大型ビニールプール、シャワー、バーベキュー施設

建物は鉄骨造り三階建て、客室は11。経営は5月に引き継いだ。宿の常連客に今後も来てもらおうと名称は変更しなかった。建物前の広場には大型ビニールプール、シャワー、バーベキュー施設などがあり、アイスコーヒーやビール、おつまみも販売する。20代のころに板前の経験がある田渕さんが料理を担当し、接客は加林さんだ。

大浴場で会議
バー

睡眠時間を削って慣れない仕事に取り組む二人だが、やりたいことはたくさんある。毎晩のように大浴場で会議をして、夢を語り合う。一人が「来年はコンテナでバーをやりたい」と言い、もう一人が「採用!」と即決。「神戸の安くて良質な肉を地元の人に食べてもらおう」という提案もすぐ具体化が決まり、冬から始めることになった。

挑戦は始まったばかり

アイデアは尽きないものの挑戦は始まったばかり。宿泊料金は1泊2食6800円、3歳から小学3年生まで5000円。素泊まり3000円。

中上健次(小説家)をしのぶライブ

2000年8月8日 、中日新聞

紀州・熊野

三重の紀州(熊野)の土着性に満ちた作品を骨太な筆致で描き続けた和歌山県新宮市出身の作家、故中上健次さんをしのぶコンサートが、命日の2000年8月12日、中上氏が一時居を構えた三重県熊野市で、親交のあった福岡市出身の歌手新井英一さん(50)を迎えて開かれる。熊野地方の文学を研究している教諭や会社員らのグループ「あをりゐかの会」が作家とブルースシンガーの“友情物語”を知り、開催にこぎ着けた。

ブルース歌手 新井英一さん

二人は十数年前、共通の友人で画家の黒田征太郎さんを通じて知り合う。出会ったころ、新井さんは自らのルーツ・朝鮮半島の民謡パンソリをやるよう中上氏に勧められ、「物書きに言われるなんて冗談じゃない」と反発。その場を飛び出すという衝突ぶりだった。

しかし「ともに田舎から東京へ出てきて『何かをやりたい』と頑張ってきた」(新井さん)二人は次第に意気投合する。1990年には佐賀県のライブハウスで、歌と語りで競演した。

新井さんは「もう果たせない夢だが、『これからも、たまには一緒にライブをやろうな』と二人で話したこともある」と振り返る。

あをりゐかの会

熊野地方の文学を掘り起こしている「あをりゐかの会」がこうした二人のつながりを知り、1月に「中上のふるさとであり、文学のテーマでもあった熊野の地で鎮魂のライブを」と新井さんに打診。「人間同士の付き合いをした仲だから」と快諾を得た。

住んでいた新鹿町

小説「火まつり」の舞台・二木島町

コンサート会場は、小説「火まつり」の舞台となった熊野市二木島町や中上氏が一時住んでいた熊野市新鹿町に近い井内浦(いちうら)農村公園の野外ステージ。新井さんは「やつの好きそうな熊野の海で、やつの魂の風を受けてみたい」と開演を待ち望む。

中上健次

1946(昭和21)年、和歌山県新宮市生まれ。故郷紀州の被差別地域を舞台に、濃密な血縁の世界を描いた「岬」で1976年芥川賞を受賞。代表作に「枯木灘」「地の果て至上の時」など。1992年死去。

新井英一

1950(昭和25)年、福岡市生まれ。働いていた米軍キャンプでブルースに魅せられ歌手を志す。代表作に、在日コリアンである自らのルーツと半生を歌い上げた「清河への道~48番」など。

中津孝吉

1950(昭和25)年、福岡市生まれ。